人を信じるという事は、 相手への期待ではなく、自分への決意。



久しぶりに語ります😂











疑うよりも信じる心。





人間関係は

予想をはるかに超えて様々なことが起きる。


予測できないからこそ

どんな時でもブレないで持っているべき。


それは「疑うより信じる心」。






何か嫌なことがあったり

裏切られた経験があると

ついつい深読みしたり

疑いたくなってしまう。


でもその疑う気持ちは

相手にも敏感に伝わってしまう。




人を信じるとは

信じた自分を信頼すると言うこと。

自分を信頼できると期待しすぎることも無くなる。



なぜ信じるより先に疑ってしまうのか、


これは自分が傷つかないための防御策なのかもしれない。


でも、疑うことは相手にも

猜疑心を抱かせ負のループに

陥りやすい状況を作ってしまう。



人を信じると言うことは

相手への期待ではなく自分への決意。




相手に期待すると

こういう人であって欲しいと

自分の理想を相手に押し付けてしまう。


相手を信じると自分に決意出来れば、

相手の知らない部分が見えたとしても

信頼は揺るがないと思う。



人を信じるといっても、

相手に期待して信じる、というのは


自分の責任を放棄しているにすぎず


短絡思考の一つと思います。


そして


本当の意味で人を信じるというのは、

相手を信じるということを通して

自分の度量を測る決意表明みたいなもの。




相手を理解することで、

自分が理解されるという言葉通り、

信頼も理解も先出し




私はとても人間不信。

人を信じないのではなく

信じたくても信じられない。


人に期待したくても期待できない。

どこかで諦めているから。




自分を産んだ親にだって裏切られてきたし

自分の人生を懸けた人にだって裏切られたことがある。


でもだから私は人を裏切らないし

だから私は人を大切にする。


大切にされるよりも

大切にする方法を考える。



なぜなら

大切にされるよりも大切にする方が難しいから。





この世に聖人君主なんて存在しない。





それでも私は変わらなきゃいけない。

もっと変わっていきたい。

いつまでも同じ場所にはいられない。







まず信じること。


許せないなら

傷つけるのではなく離れること。





信じられない

許せない



そうだとしても。



自分が裏切るよりも

裏切られた方がいい。



自分が誰かを傷つけるなら

傷つく方がいい。




きっとその分

深い人になれる。




そして全てに意味があるとするなら

それにも、意味がある。


私はそう思う。

最新記事

すべて表示

だからこそ、頑張ると言う力。

自分より辛い人間は多くいる。 この世に完璧な人間は存在しない。 聖人君主も存在しない。 死にたくなるような夜は幾度となくある。 失う事でしか得られないものがある。 楽しさと幸せはいつも目の前にある。 犠牲にならないものはない。 そして、 苦労をしないと成長もしないし 思考も身につかないし、痛みがわからない。 大恋愛をして失恋をして 初めて愛について考える。 だから愛すると言うことがわかる。 仕事を